冬が来たなら、春は本当に来るのだろうか?

ファイル#12 曲名:Winter Winds 
作詞,作曲:サンディ・デニー
フォザリンゲイ に収録

恋愛における“一途な気持ち”というのは、男性と女性ではかなり違っている。女性の思う“一途”は、男性よりも純粋で深遠なものである。日本的情緒の香り漂う松任谷由実の名曲「春よ、来い」、この曲のオフィシャルMVはそういう女性の感情をうまく表現していて、胸に詰まるものがある。昭和の時代と思われる校舎や運動場を背景に、幼い少女が会えなくなってしまった男の子を一途に想う。その幼子の表情は、悲しみというより“愛をくれし君を また巡り合える春が来るまで いついつまでも待っています“という決意がにじみ出ていて、切ない気持ちにさせられる。それと同時に、“一途な気持ちで、辛抱強く待つ”ということの儚さや大切さを痛いほど感じさせられる。
昨今、女性が一人でも独立し生きていける時代となり、愛しい男性を“一途に想い待つ”という気持ちを女性に抱かせることのできる男性自体も少なくなってきている。「春よ、来い」を聴くと、“一途な想い”を持つことが必ずしも美徳であるとはいえないが、それを失くしてしまってはならない、と警告しているように感じる。

故サンディ・デニーが、後に夫となるトレヴァー・ルーカスとともに結成したフォザリンゲイ唯一のオリジナル・アルバム(1970年発表)の中に「Winter Winds」という冬の季節に関連する歌がある。何とこの曲は、当時日本でもシングルA面(本国イギリスではB面)で発売されていた。短いトラッド風の曲ではあるが、日本人好みのマイナー調の旋律でバックのアコギの音色はどこか童謡の香りが漂う。ここで歌われる女性の心情というのが、「春よ、来い」のそれとは少し異なっている。「春よ、来い」では、春に惜別した男性と、いつかの春にはきっと会えることを信じ、幾たびも訪れる寒い冬を一途に耐え忍ぶ女性(幼子?)の心情を描いていた。一方「Winter Winds」では、1番目のスタンザで“海が凍てつくほどの冬の冷たい風が吹く季節”、2番目のスタンザで“その寒い冬という季節にも気付くことなく夢ばかり追っていく男”そして最後の3番目のスタンザで“男の進む径?に幻滅し 厳しい冬とて一人で歩んでゆく決意をした女性”を描いている。この「Winter Winds」も、YouTubeで秀逸なMVを観ることが出来る。そのMVの主人公の女性(熟女)は、雪の中子犬を抱きかかえ、タバコを吸い、子供を見る目はどこか虚ろに映るが、その表情にはどこか確固たる信念が浮かんでいる。
日本にもイギリスにも四季があり、冬が終われば春になる。だが春には出会いもあれば別れもある。春の辛い惜別を体現してしまった女性達に、春は本当にやってくるのだろうか?

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