純白の女性に憧れるミュージシャン達

ファイル#6 曲名: Slim Slow Slider
作詞,作曲:ヴァン・モリソン
アストラル・ウィークス に収録

アイルランドの至宝ヴァン・モリソンが1968年に発表した『アストラル・ウィークス』は、思春期から大人へと成長する過程での様々な想いを綴ったコンセプト・アルバムである。その最後8曲目となるのが「Slim Slow Slider」である。他の7曲と違い、この曲だけは哀しく痛い。目を伏せ少しうつむいてジャケットに写るモリソンの顔と何故かシンクロする。

“純白の馬に乗り、林の中で小石を拾う彼女…君には手が届かない” 憧れの女性を陰ながら見守っていたが、“今朝早く見かけた君は、新しい恋人とキャデラックと一緒に行ってしまった” 失意のどん底に落ちてしまう。そして “君は死にかけている。そして君がそれを知っているのも僕は分かっている。だから僕はどうすればいいか分からなくなってしまう” と傷心のままで終わる。
ここでひとつ疑問となることがある。 “彼女は死にかけていて、彼女自身もそれを知っている。”と、dying(死にかけている)という言葉をモリソン自身だけでなく、彼女に対しても使っているということだ。これを解くカギは “純白の馬”と“キャデラック”にあるのではないか。純白の馬=自然が創造した生き物、キャデラック=人間が創作した機械文明。モリソンは、彼女が自分から遠ざかってしまうと同時に、物質文明に汚され自然を愛でるという彼女の純粋な心(精神文明)が死んでしまうかもしれないと嘆いているのではないだろうか。

以前紹介したエルトン・ジョンの2ndに収録されている「First Episode at Hienton(ハイアントンの思い出)」では “ヴァレリーがはいていた白い靴下が好きだった…大人になった君はもうはかない”。そして、持田香織がカバーした井上陽水の「いつのまにか少女は」では “白い膚が光に触れまぶしそう…春が夏に変わるみたいにきみは大人になった”。と、モリソン同様にエルトン先生、陽水様も純粋な少女が大人へと変わっていく寂しさを、切ない声で歌っております。ミュージシャンはみんな純白の女性が大好きである。

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